壁打ち置き場

4期、ちづさ。

徽音祭2019

いい水曜日ですね。

お茶女♡アイドルカフェ卒業生
4期ちづさです。

わたし、

徽音祭2019
お茶女♡アイドルカフェ

に行ってきました。

卒業してから実質はじめての「先輩」としての登校
とても楽しかったです。
楽しかったというか、いろいろな発見がありましたので、メモがわりに書き残させていただければと思います。



最初に注意事項を述べさせていただければと思います。
・卒業生が私見で感想を述べています。公式見解ではありません。
・卒業生と言いつつ今はただのファンです。
・この記事では後輩ちゃんの名前は出していません。●●ちゃんのここがよかった、は書いていませんが、書くとしたら、とある子のこんなところがよかった、という述べ方をしています。
・後輩ちゃんへ。見るも見ないも自由です。というより見なくて大丈夫です。というより見ないでください。
・めちゃくちゃ私の哲学です。
以上のことをご承知おきくださいませ。


ーーーーー

以下本文


Twitter ( @ochadol_ramen ) でも書いたんですけど、「ああこの子は頑張ったんだな」と見ていて分かってしまうダンスは正直あまりすきではなくて。頑張りは全く見せずに、もともとこんなにできるんですよ、みたいな顔をしながら踊ってほしい、というか踊ってほしいとわたしは自分に対して思っております。他の子に対しても、そうあってくれたらとても嬉しいなあと。
頑張ったって分かってしまうのは素晴らしいことだと思いますし、頑張りが見えることは眩しくてかわいいです。かわいいという言い方はすこし違うな、いとおしい、です。それでもわたしはこの子は最初からこんなにうまいんだろうな、自分を出せるんだろうな、これを何の気なしにこなしてしまえるような子なんだろうな、と思いたい。

それでも頑張ったってほめてほしいじゃないですか。
あなたは頑張ったって、見てないところで努力してるって、わかってほしいじゃないですか。わかってもらえないのに努力するなんてよっぽど強くないとできないと、わたしは思っています。だって頑張りって際限がなくて、自分じゃ歯止めがきかないから。もういいや、ってならない限り終わらない。
それを評価できる基準は、やはり「こんなに成長したのは、去年を圧倒的に凌駕するほどの努力をしていると思わないと、研究をしていると思わないと、どう考えても話が合わない」だと思っていて。

それを、今年のアイドルカフェは見せてくれたと思っています。

細かいところ、見ていけばきりがないです。
例えば意志の最後の振り向くところ。あれ、後ろ向いた状態で前列から振り向くので相当合わせるのは大変です。拍でとれればいいけれど、きっと拍をとれない子もいる。それでも、特ステのあの一発できれいにきまっていた。
意志、見ただけで絶対に難しいって思った。あの曲は「挑戦状」であり、「信頼」であるとわたしは感じました。
あんな難しい曲を全体曲にするなんてそれはメンバーに対する「挑戦」だし、あなたたちなら絶対に踊れるというメンバーに対する「信頼」。
そこまでの信頼を勝ち取り、挑戦してもらえる現役ちゃんのこと、ちょっと羨ましいです。わたしも現役の頃いい気持ちいっぱいさせてもらったけどね!

とある曲を見たとき、ある子に対して、「この子たぶん今年すごい気持ち入ってるな」と思って。
それは去年との対比で気がついたことだから、だからすごく気持ちがよくて。気持ちが入っているというのは、自らの精神を削ることとほぼ同じだと私は思っていて。だから、精神を削ってまでアイドルカフェの徽音祭に懸けてくれていたことがとても嬉しかった。嬉しかったというのは少し違いますね。ありがたかった。そんな現役のメンバーがそこまで思っている団体を応援できることがとてもありがたかった。

思い入れてくれているのはきっと他の後輩ちゃんも一緒だと思っていて、個人名をあげることは控えますが、一人ずついいとわたしが思っていたところがのびて、ここはもっとこうしたほうがよくなるのに! って思っていたところが「こうしたふうに」なっていて、みんな沢山努力したんだね、って。

ひとの成長を見守る......って言い方は変ですけど、ひとの成長というかひとがより最高になっていく姿をみさせてもらえるのってすっごく幸せなことじゃないですか。
アイドルカフェは、今年、2日間カフェを営業して、特別ステージでの公演もしていました。
2日間での成長も去年からの成長も見れる、なんて素晴らしいのでしょう! と私は思っています。
まずね、人が成長するのを近くで見守るのはとても難しいのではないか、私はそう思っています。
例えば身長。久しぶりに会った親戚は「もうこんなに大きくなったの!」と言ってくれますが、近くにいる家族や友人は気がつきません。だって、毎日一緒にいるから。小さな変化は、隣にいると見えない。
なのに2日間少し見させてもらうだけで、後輩ちゃんたちがこの2日間でどう大きくなっていくのか、素敵になっていくのかがわかってしまう。わかるんじゃないんです。わかってしまうんです。ここ大切です。
なぜわかってしまうのか。そんなの答えは一つしかないじゃないですか。
「後輩ちゃんたちが認識できてしまうほどのスピードで素敵になっていくから」。
これしかないと、私は思っています。
もちろん、1年をあけた間にも後輩ちゃんたちは素敵になりました。カフェタイムだけ見ても、正直もっと細かなところを見ても、その片鱗は確実に感じ取れます。感じ取れましたよね? 私は全ては書きませんよ?
私が在籍してた間から今までかけても絶対にできなかったであろうことをこなしてしまう子。
視野が広くなったと感じる子。
一つ一つの仕草からより、素敵な人間に成長されたのだなと感じてしまう子。
どの子も人間として尊敬できて、素敵で、だからこそ私は卒業してもアイドルカフェが大好きなのだと思いました。
ちなみにこの3つ書いたこと、これは3人という意味ではないです。もっとたくさんいます。たくさんの子が、同じような方向性で、それでも個性を保ちながら成長していく。それが私はとても好きなんです。

個性、という観点で1つ。
ダンスがうまいということ、研究しているということ、完璧であること、間違えないということ、人の心を動かせるということ。
そのどれもが素晴らしく、尊いと思います。
私にはできないことです。
できないと自分の可能性を否定してはあまりよろしくないですね、私には難しいことです。
私がアイドルカフェのダンスに一番に求めることは、うまいことでも揃っていることでもないです。私は、ね。
私が求めているもの、それは、「去年からの成長」と「個性」です。
去年の反省から何を伸ばそうとしてきたのか。それによってどこまで努力したのかが見えるということ。
そして、その子その子の個性と、その年の個性を見れるということ。
それが、私がアイドルカフェに求めていることです。
だから、ある意味ではダンスがうまいことも研究していることも完璧であることも間違えないことも人の心を動かせるということも大切なんですよ。
ちょっとわかりにくいとは思いますが、わかる方だけわかってくださればいいです。そういうブログなので。
あのね、私が求めているものは過程と結果、この2つに分けられるんです。
まず過程。
過程では、頑張ってきたこと、を求めている。それはダンスそのものの実力であったり表現力をどう磨いてきたか。これは冒頭に述べたことにも繋がりますね。もしどれだけ頑張ってきても「私はもともとこんなにうまかったんですよ」という顔をしてほしい。だって、「頑張ってきたんです!! 褒めてください!!」ってダンス、私はあんまり好きじゃないから。これは好みの問題ね。別にこのダンスを否定するわけじゃないです。そういうダンスが好きな人もいる。それだっていいじゃないですか。人の好みなんてたくさんあるわけだし、だからこそ人間は面白い。話を戻しましょう。「もともとこんなにうまかったんですよ」という顔をして、どう考えても去年より研究し尽くされたダンスをする、そういうことに私は痺れるわけです。だからこれは過程。過程萌えとでもいうんですかね?笑
そして結果。
結果としてはね、表層に映し出される「ダンスによって見えるその子の個性」(だったり「カフェタイムとか自己紹介で見えるその子の個性」)が好きなわけです。
ダンスを踊る時の目の作り方、目線のやり方、手の動かし方、関節の曲げ方、足の払い方、表情の作り方、体をどうむけるか、リズムをどう取るか。ただこれだけでも個性が見えます。ある子はふんわりとしたダンスが特徴的で、ある子はパキパキっと踊る。ある子は手足が長いからそれをうまく使うのが大変そうなのに綺麗に使えていて、ある子は小柄なのに踊ると大きく見える。ある子は踊るとかっこいい系になり、ある子は可愛い系になる。
そういうことをね、見るのが大好きなんです。私。
この点においては、過程なんてどうでもいい。表層に見えてくる、結果が全てです。
表層に出る、その子の「個性」が好きで。
だから、その点においては、正直アイドルカフェに求めているのはその子やその年の個性が見えることであって、毎年変わらない完璧さ、ではないんですよ、私はね。私は、です。
今年の子達は何を目指していたのか、それを知りたい。
どんな雰囲気の中で楽しくて大変な毎日を過ごしてきたのかを感じ取りたい。
それなのかな、と、先日思いました。

今年はマイクが特徴的だったなと思いました。
歌割りがきちんとしていて、マイクの傾け方なども本当に歌っているみたい。
すごく研究したんだな、と。

そして、一人一人のよさが、本当にのばされていた。
ふんわり踊っていたあの子がもっと良くなっていて、立ち位置を間違えてもすごく自然に直せていた。
何かあっても切り替えが完璧な子がいて、正直私は泣きそうだった。
首の傾け方一つをとってもすごく動画をなんども見て研究したんだろうな、ってくらい去年から成長していた子がいた。
二回踊るものを二回とも違う雰囲気で踊る子がいた。
目線が力強くて、その子から目が離せないような子がいた。
二人で目を合わせる振りの時、最高の笑顔をしている二人がいた。
私の永遠の憧れの子がいた。
たくさんの子がいて、私は全ての瞬間の全員を見ることができなかったけれど、
それでも全ての瞬間のみんなは、どう考えても最高であることくらいわかってしまう、
そんなパフォーマンスでした。

頑張る、ってしんどくて。
いや、そりゃあそうなんですけど。
ちょっと私の話をしますね。私は、無理やり頑張ってしまうタイプの人間で、追い込めるだけ追い込んで急に倒れてしまいます。だから、「頑張ることはしんどいこと」であり、「尊いこと」であると思っています。
だから、Twitterでも書いたように、頑張っている子には頑張ったね、と言いたい。
他人から評価されるために頑張るのは少し違うと前々から思っていて、頑張るのは自分で自分を評価するためだけに行うものであると思っています。他人から見えるものの多くは過程ではなく結果であり、どんなに頑張っても結果がでなければ評価されない。極論を言ってしまえば受験だって本当に頑張りが評価されるなら勉強時間を数値化して回した問題集を数値化して総合的に判断すればいいわけじゃないですか。極論ね。でもそれをしないのは受験というものはその学校に合う人間を選抜するものであり、そして、それは圧倒的に結果が全てだから。そんなもんなんです。きっと。多分ね。
結果は見えやすくて、過程は見えにくい。そんなことも関係していると思います。
だけどきっと本当に評価して欲しいのって過程であり努力であり頑張りだと思うんですよ、多くの人は。多くの人って言い方あまり好きではないのですが一般的とか普通よりかはましな言い方なのでこれを用います。
他人から評価されるために頑張るのは違うという私の考えと、本当に評価して欲しいのは頑張りであろうというなんとなくの察し。
ちょっと面倒臭い話になってきましたね。
他人から評価されるために頑張るのは違うと思う、この考えは変わりません。結果を出すために頑張るのであり、人から評価してもらうのは結果であり、頑張りは自己満足。頑張りは、結果がでた時に自分を褒める材料であり、不安になった時に自分を支える材料であると、私は考えています。自分のことを一番見ているのは自分。だからこそ、自分の頑張りが不安になるときもある。
だから、人は人に認めて欲しいのかな、と思っています。頑張りを認めて欲しい。その感情は、そこからきているのかな、と。自己解釈ですが。
私が今年の後輩ちゃんをたくさん泣かせてしまったのは、頑張ったね、と思ってしまい、それを伝えてしまったことにあると考えています。
だってね。本当に頑張ったんだろうなって思ったんだもの。
私が最後の年に入ってきた後輩ちゃんたちが中心になって作った年、感慨深くないわけがないじゃないですか。
<ーー実はこの行に一文あったのですが最初に書いたコンセプトとずれたため削除しましたーー>
だんだん、私と一緒に徽音祭に出たことがない子の割合が増えていきます。
それでも、「ああこの子たちは頑張ってきたんだな」と感じれる、いや、いやが応にも感じてしまうであろうということを今年思ったんですね。
それを一番感じたのは特別ステージ。
今年の時間割は、みんなの「すき!」が詰まっているようで、私はとても楽しみにしていました。
いや、毎年楽しみですけど。先輩二年目ですけどね。
あのね、下で見れてよかったなあって、思ったんです。
正面から見れて、こんな素敵なものを、きちんと正面から、って。
後輩ちゃんたちとまたステージに立ちたいという思いは正直あります。私はステージが好きなので。それでも、私は一緒に練習をしてそれをなんども見てしまうより、ただ一度のステージを、ただ一度のものとして、正面から目に焼き付けることができて幸せだと、何度も何度も噛みしめました。
涙が溢れて、ステージが見えなくなったこともありました。でも、それでも、見えなかったステージも含めて、あの光景は私の宝物です。
もらった感情ごと宝物にできるってとっても素敵なことではないですか? 私は素敵なことだと思います。
もらった感情ごと宝物にできるなんて、本当に嬉しい感情じゃないと無理だと思うんですよね、私。
そんな感情をね、後輩ちゃんたちは私に与えてくれたんです。
たったあの短い間で。


一年に二日しかない。
次の現場は一年後。
それがどういうことなのかを、これから一年、また、学んでいこうと思います。
あの暖かな空間が、私は好きだから、
きっと来年も足を運びます。
人が笑っていて、たくさんの人が喋っていて、暑くて、音が鳴っていて、
私が許された空間で後輩ちゃんが笑ってくれていることが、
幸せそうにしてくれていることが、
本当にとても嬉しいのです。

「アイドルカフェを選んでくれてありがとう」
何度思ったか知れません。
数多ある団体の中で、アイドルカフェという空間を選んでくれたこと、そしてその空間で幸せそうに笑ってくれていること。
私はアイドルカフェが好きだから、アイドルカフェを好きでいてくれる人のことが好きです。
アイドルカフェで笑ってくれている後輩ちゃんを見ることが、とても幸せです。
幸せ、だし、あって欲しい感情があって欲しいところにある、そんな感覚を味わいます。

今年、初めて、本当に普通の1ファンとして訪れました。
まあ結局カメラ係とか受付番人とかやっちゃったんですけど笑
それでも、去年はずっとPAにいたから正面から見るのは実質初めてで。
後輩ちゃんたちって、こんなに楽しそうな顔をしてたんだって、私はやっとしれました。
今まで自分のことに精一杯で、何も知らなかった。
だからこんな文章を書いたのかもしれません。

アイドルカフェ、ありがとう。
私の大切な大切な宝物です。
素敵なものを見せてくれてありがとう。
あなたたちは、いつも私の期待を上回ってくれるね。





もしこの乱文を読んでいる後輩ちゃんたちがいたら私からのお願いがあるんですけど。
私は、あなたたちの生き方を、楽しみにしています。
だから、あなたはあなたらしく生きてください。
ステージに立てるのは回数が限られています。卒業してしまったらもう立てない。
でも私はまだあのステージに夢を見ています。
カフェにも、特別ステージにも、夢を見ています。
だから、私は、私と同じひとを見ると、きっと嫉妬してしまいます笑
だからあなたは、あなたらしく。
本心はこれじゃないけど、まあ汲み取りたいように汲み取ってください。笑
つまるところ、あなたは、あなたたちらしく、アイドルごっこを、してください。
私にそれを、遠くから見させてください。
応援させてくれてありがとう。
大好きだよ。



2019徽音祭感想文? ちづさ。